抜群の美貌と確かな演奏力で、まさに“才色兼備”を体現する新潟市出身のバイオリニスト・枝並千花さん。クラシック音楽界でのアカデミックな活動を基盤に、ゲーム・ドラマ音楽のオーケストラによる再現、イディナ・メンゼルイル・ディーヴォら海外大物アーティストやX JAPANの全国ツアーのコンサートマスターを務めるなど、幅広い活躍を見せる気鋭の音楽家です。誠実に音楽と向き合い、オーケストラの新たな可能性を模索し続けてきた枝並さんにとって、2018年は自身の長年の思いが結実したプロジェクト「オーケストラ・ポッシブル」が本格始動するなど、さらなる飛躍を遂げた1年となりました。今回はそんな枝並さんに、バイオリンとの出会いからこれまでの経歴、オーケストラ立ち上げへの思いについてなど広くお話を伺います。

 

■「ステージに立つことが好き」。自らと向き合い、積み重ねてきたキャリア

 

 

「バイオリンとの出会いは、4歳の頃。始めたきっかけはクラシック好きの両親の影響でしたが、強制されたことは一度もないんです。私の気持ちを尊重し、支え続けてくれた家族には本当に感謝しています。全国大会に出場して優勝をいただくこともありましたが、当時はまだ『バイオリニストになりたい』というよりは、コンクールに出るからには『賞を取りたい、勝ちたい』という思いの方が上でしたね(笑)。とにかく負けず嫌いな性格だったので、その一心で練習に励んでいました」

 

 大学在学中の2003年には、イタリア・ミラノで開催される「ミケランジェロ・アバド国際コンクール」で見事グランプリを受賞。ここでの経験こそが、「プロの音楽家としてステージに立ち続けたい」という思いを自覚させ、その後の進路を決定づける大きな転機になったといいます。

 

「当時、いろいろな重圧からコンクールで失敗をしてしまい、ステージに立つのが怖いと感じるようになってしまったんです。この恐怖を取り除かなければ、この先一人の音楽家として舞台に立つことができなくなる。だから、誰も私を知らない場所で気持ちを新たに演奏してみようと思って、海外での挑戦を決めました。本番では点数や評価を意識せずに自分の音楽を伸び伸びと表現できて、この時に初めて、本当の意味での“音楽を届ける喜び”を感じられたような気がします。『私はステージに立つことが好きなんだ』と、自分の気持ちにはっきりと気付いた瞬間でした」

 

 

 大学卒業後は日本を代表するオーケストラ・東京交響楽団に入団し、着実にキャリアを積み重ねていきます。その後、2009年よりソロアーティストとしての活動を本格化。ジャンルレスに活動を続けてきた枝並さんにとって、これまでに経験したステージ一つ一つが自身の成長の糧となっています。

 

「実は、大学卒業前にけんしょう炎を悪化させてしまって……。『弾きたくても弾けない』という精神状態で客観的に自分を見つめ直し、オーケストラの中に混ざって活動したことで、将来について冷静に考えることができました。常に新しい曲を練習しながら、リハーサル、本番と数え切れないほどの公演をこなした楽団員時代の経験は、その後の大きな自信になりましたね。ソロではクラシックやポップスなどと区別せず、どんなジャンルでもアグレッシブに挑戦しています。国内外のビッグアーティストと共演して驚いたことは、観客との心の距離が近く、会場で生まれる熱量がすさまじいということ。X JAPANのYOSHIKIさんが主宰する『YOSHIKI CLASSICAL』に出演した際は、ステージに懸ける情熱とファンへの思いの強さを間近で感じて、本当に刺激を受けました」

 

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