サイトアイコン Komachi MAG.

北原里英、NGT48卒業記念特別企画① 本人解説!卒コンライブレポート

 4月14日、朱鷺メッセ・新潟コンベンションセンターで、北原里英さんの卒業記念公演「北原里英卒業コンサート~夢の1115日 新潟の女になりました~」が行われました。結成当初からキャプテンとしてNGT48を引っ張ってきた北原さんの卒業記念公演とあって、チケットは即完売。関係者席にもAKB48グループの現役メンバーや卒業したOGの姿が見られるなど、注目度の高さをうかがわせます。
 今回、このコンサート終了後に新潟のメディアを巡った北原さんにインタビューを敢行。あまりに“濃い”インタビューなので、2回に分けてその模様をお伝えします。
 第1回となる今回は「卒業コンサート」について。北原さん自身が考えたというセットリスト、演出についてたっぷり話していただきました。

 

 

「すごく楽しかったし、めちゃめちゃいいコンサートになりました。お前自分で言うんか~いって言われそうですけど(笑)。やりきった感が半端ないですね」

 

 「素晴らしいコンサートでした」と筆者が正直な感想を伝えると、笑顔でこう返してくれた北原さん。表情からは言葉通り、やりきった達成感、充実感が感じられます。インタビューは、卒業コンサートへ向けた準備の話からスタートしました。

 

「卒業コンサートに向けて『こんなことやりたい』みたいなイメージは、ずっと膨らませていました。自分の中でやりたいことを固めて、実際にリハに入ったのが1カ月くらい前からですね。3月1日に秋葉原での最終公演をやらせていただいたんですけど、そことは1曲もかぶらないように調整したり」

 

 多くの曲をセンターで踊り歌い、しかも曲ごとに衣装も変える忙しさ。そんな中でも大変そうな表情を見せずにステージに向かう北原さんの姿が印象的でした。

 

「実際、大変でした(笑)。まゆ(渡辺麻友)ちゃんとか、たかみな(高橋みなみ)ちゃんの卒コンは、ほとんど全部出るスタイルを取っていたんですけど、私は2人ほどAKB48に貢献した自信はないですし、2人ほど代表曲もないので、たぶん全部出ることにはならないだろうなって想像してたんですよ。ところがいざ打ち合わせをしたら、『あれもやりたい』『これもやりたい』ってなって、曲数が多過ぎて削れなくなっちゃって、『じゃあ全部出るか』ってみたいな感じで出ずっぱりになりました。
 センター願望がもともとなかったので、センターをやるつもりはなかったんですけど、特に自分の思い出のAKB48の曲をやる時に自分がセンターじゃないとやっぱり変になっちゃうので。今回は、ポジションも口出しさせてもらったので、『荻野をセンターにして、このセリフは山田に言ってほしい』みたいなそういう細かい所まで自分で決めさせてもらいました」

 

 数ある楽曲の中から、コンサートのオープニングナンバーに選ばれたのは「大声ダイヤモンド」。しかも北原さんが“まさかの音程”で歌う「北原ダイヤモンド」に、メンバーがずっこけてスタートしました。

 

(c)AKS

 

「1曲目はやっぱり大事だなってなって、何を持ってくるかすごい悩みました。特にオープニングの(北原さんのこれまでの軌跡を振り返る)映像が泣けたじゃないですか。リハで初めて見て結構泣きそうになっちゃって、メンバーもみんな結構泣いていて。山田とかも号泣しながら出てきてたりしてたくらいいい映像の後だったんで、そのギャップが逆に良かったと思いました。MAX泣けるところから船出して、1曲目で笑えるみたいな。そういう緩急がうまいこと全体を通してつけられたと思います。結果として、『大声ダイヤモンド』は、すごい大正解なベストアンサーだったんじゃないかな」

 

北原さんを慕うメンバーとの絆」(次のページへ)

 涙と笑いで幕を開けた卒業コンサートですが、北原さんが選んだセットリストには、「まさか観られるとは思わなかった」とファン心をくすぐる名曲も数々披露されました。

 

「私、歴代のメンバーの中でも一番チームを渡り歩いているんですよ。研究生から始まり、(チーム)B、K、A、SKE48行って、Kに戻ってNGT48みたいな。すごい自分的にも波瀾万丈なAKB48人生だったなと思うのでそれを表したくて、チーム曲だったり、ユニット曲だったりを順番にやらせていただきました」

 

(c)AKS

 

 こだわったという演出では、北原さん自身が輝きながら、他のメンバーの個性をしっかり生かされていて、メンバー思いの一面を感じました。

 

「自分の卒業コンサートだけどメンバーに見せ場を作ってあげられるようにしたいなって思っていたんです。例えば、着替えのタイミングがあるときに、あいにゃー(日下部愛菜)とれいにゃー(清司麗菜)のアクロバットでつないでほしいってお願いしたり。2人ともダンスの技術が高いんですけど、あまり知られていない。大きなステージで得意のダンスを披露できて、よかったと思います」

 

 それぞれの個性を最大限に生かし、キャプテンの卒業コンサートに花を添えた後輩メンバーたち。でも舞台裏では、2年8カ月を共にしてきたキャプテンとの別れがつらく、大泣きだったといいます。

 

「メンバーの泣き顔はめっちゃ心に焼き付いてますね。まりな(西潟茉莉奈)とかびっくりするほど泣いてて。山田(野絵)は最後の1週間くらいは、私の顔を見るだけで泣いてました。リハの時もずっと泣いていましたし。本番前の円陣も私が泣き始めたら、みんな号泣で。でもそんなに思ってくれるのかって思うと、泣いてくれるのはうれしかったですね」

 

(c)AKS

 

 北原さんのことを思っていたのは、NGT48のメンバーだけではありません。AKB48グループの中でも特に北原さんを慕っていたメンバー(横山由依さん命名「りえちゃんず」)が、新潟に駆けつけ、一緒に踊り、歌いました。

 

「本当に忙しいのに、みんな来てくれました。実は、結構ギリギリまでスケジュールが押さえられないって言われていて。たくさんのバトルがあったんですけどなんとか、スケジュールを勝ち取りました(笑)。
 実際、AKB48のグループの中で中心にいるのは、AKB48であってほしいっていう思いがもともとすごい強くて。だから新潟のお客さんにAKB48感を全面に出したパフォーマンスを観てほしいと思ったんです。それと同時にAKB48のメンバーに対しても、『こんなに新潟は盛り上がっている』っていうのを見せたかった。だからメンバーに来てもらって本当に良かったです」

 

「10年越しの指原さんとの約束」(次のページへ)

 中でも地方から東京にやって来て、北原さんと苦楽を共にした“地方組”の指原莉乃さんは、この卒業コンサートを万感の思いで迎えたようです。

 

(c)AKS

 

「研究生のころから『“リノリエ”でやりたいね』って言っていた曲があったんです。でもここまでなぜか実現しなかった曲を今回、一緒にやらせてもらいました。
 指原がMCで『移籍が決まった時どうなるんだろって心配したけど、新潟の皆さんにもメンバーにも、こんなに愛してもらって良かったね』ってさらっと言ってたじゃないですか。あれはヤバかったですね。実はNGTに移籍するころ、ささいなことで指原とケンカしてたんです(笑)。だから移籍について相談も何もしてなくて。ただ移籍がきっかけで仲直りして、『(移籍は)絶対いいと思う』って言ってくれて。移籍後も、いろんなことを相談しました」

 

(c)AKS

 

 コンサート終盤にはNGT48メンバーでさまざまな曲を披露。後輩メンバーは、別れを惜しむように全力でパフォーマンスし続けます。

 

「私の卒業コンサートではあるんだけど、NGT48のコンサートでもある。だから最後はNGT48の曲で締めたかった。どういうふうに終わるか結構悩んだんです。でも最後は自分の気持ちにぴったりで、大好きなあの曲で終われて良かったと思いました」

 

(c)AKS

 

 アンコールでは、この日のために準備したという真っ赤なドレスで登場。卒業ソングにして 10年のキャリアで初のソロ曲 「私のために」 を切々と歌い上げました。間奏では、「決して楽いことばかりではなかった10年間、私を救ってくれたのはこの新潟です」と新潟への感謝の気持ちを伝えました。
 そしてアンコール最後の曲を歌い上げ、ゴンドラに乗って会場を後に。最後は、NGT48お披露目公演の 再現のように、船に乗り込んで出航しました。

 

(c)AKS

 

(c)AKS

 

「映画『サニー/32』の白石監督も来てくださっていて『終わり方、最高だったね』と褒められました(笑)。演出家の方と『他の誰ともかぶらない終わり方にしたいね。お披露目が船で来たから、船とかどうっすか~?』って最初は軽い感じで。朱鷺メッセの外がすぐ信濃川だったので、お披露目の時と同じ船で行くのはいいんじゃないって実現しました。雨の予報だったんですけど、天気が何とかもってくれて。最後まで晴れ女っぷりを発揮しました。最終的に、笑いあり涙ありのいいコンサートだったよって周りから言われて、そうなったんだったら良かったなと思いました」

 

 卒業コンサートの舞台裏をいろいろと語ってくれた北原さん。次回(公開中)は、昨夏に卒業を決めてからの話、そして卒業後のこれからの話をしてくれます。

乞うご期待!!

 

モバイルバージョンを終了