2015年、伝説のバンド・YEN TOWN BANDを復活させ、十日町・大地の芸術祭に初参加した小林武史さん。大きな話題を呼んだあのライブから3年。今年も大地の芸術祭に出演する音楽プロデューサーは今、どんなことを考えているのでしょう?7月某日、新潟市を訪れた小林さんにお話を伺いました。

 

 

-前回、2015年に初めて大地の芸術祭に参加されたわけですが、それまでこのイベントのことはご存じでしたか?

「2012年に初めて見せていただいたんですが、それまではちょっと知らなかったですね」

 

-2012年に初めて見たとき、どんな印象を持たれましたか?

「なんていうんですかね、(大地の芸術祭の)必要性というものを感じて、本気でやられているということに大きなショックを受けました。十日町は、地域の過疎とか問題に直面しているところ。日本にも世界的にもそういう所があるわけで、そういう事を真剣に考えて本気で取り組んでいるものって、僕はそんなに見たことない。そしてそれをものすごく有効だと思いました。地域の問題を考えるにあたって、真剣な芸術祭というのは」

 

-それは展示している作品、それに関わる人々に接して感じたのですか?

「もちろんそういう全体からも伝わってくるんですけども、たぶん作家や、総合ディレクターである北川フラムさんを中心にしてるスタッフも、人間や社会にとって何が本当に大切なのかという事を真剣に考えているということだと思うんです。ここしばらくの間で、ずいぶん失ってしまったもの、おおむねお金の合理性みたいなものに動いていくしかない最近の世界的な世相に対して、『それだけでいいのか?』というテーゼにもなってるし、大切にしなければならない人の営み、地域との中での営みというものを、ちゃんと必要な所にはメスが入って踏み込めて、そして包む所は包んでというようなことになって、本気で真剣にやられてる。つまりそれは都市との循環という一つの模範例みたいになってくるんですよね。都市に暮らす人たちにとっても、すごく重要なイベントになってると思うんです。十日町に来て、何か気持ちをリフレッシュする。だから、皆さん来るんですよ」

 

 

-2012年に初めて大地の芸術祭を見た時、ご自身が参加するイメージは浮かんだんですか?

「全くしていませんでした。ただその時は東日本大震災の復興支援のあり方を模索していて『中からの復興』『内側からの復興』ということを考えていたので、大きな経済に依存するだけの復興に危うさを感じていたんです。僕は「ap bank fes」とかやらせてもらっていますが、ライブだと長くても3日とかしかできない。2017年にようやく石巻で『Reborn- Art Festival』が1回目の本祭を迎えられたんですけど、長い時間、地域に入り込むというスタンスは『大地の芸術祭』を参考にさせていただいた部分が大きいですね。(大地の芸術祭総合ディレクターの)北川フラムさんとも、やりとりさせていただいていましたし」

 

-北川さんとは以前から交流があったのですか?

「2012年に大地の芸術祭を見せていただいた際、北川さんの近しいスタッフの方が案内してくれて、そこでお会いしました。最初はすごく警戒されていたと思うんですけど(笑)、今は本当に仲良くさせてもらっています。頻繁に食事や飲みに行ったりしているわけではないんだけど、思いを同じにしているところがあると思っています」

 

 

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