2020年3月14日(土)からシネ・ウインドで公開される映画「血筋」。この作品を手掛けた角田龍一監督が来県し、Komachi MAG.のインタビューに応えてくれました。「血筋」の主人公は中国・延辺朝鮮族自治州・延吉市で生まれたソンウ。父とは5歳のときに別れ、祖父母に育てられました。その後10歳で日本に移住し、日本の国籍を取得。20歳を迎えたとき父を捜し出し会う決意をしますが、祖父母も親戚も父の消息を知らないうえに、みんないい顔をしません。本作はようやく再会を果たした父と息子、そして祖父母の三世代の家族の姿を映し出しています。

 

 ©Ryuichi

 

本編では明確にされていませんが、主人公のソンウは角田龍一監督自身です。「血筋」は監督がカメラを担いで韓国に住んでいる父親に18年ぶりに会いに行く、いわばセルフドキュメンタリー。新潟県立大学に在学中の20歳で本作の製作・撮影に取りかかり、中国で10年、日本で10年生きてきた角田監督にとって、20歳は一つの区切りと感じられたそうです。

 

「日本人として言葉とか文化的なものを身に付けようと思ってずっとやってきたので、(10年たって)ようやく完璧に日本人になれたなって思うところがあったんですよ。数字的にも20歳という区切りもあったので、初めて過去について振り返ってみようと思ったのが映画を作り始めたきっかけです。僕は10歳まで祖父母に育てられたんですが、時々、中国へ帰るとやっぱり老いていくわけですよね。その老いを見ていると、生きてる間に何か形に残したいなって、最初は遺影を撮るぐらいの気持ちでした。そこにどうせ撮るなら物語にしたほうがいいと思って、父親に会いに行くシーンを加えたんです」。

 

18年ぶりにもかかわらず、角田監督とお父さんはすぐに互いを親子だとわかり、文字通り「血のつながり」が浮き彫りになりました。ただ、父親は韓国で不法滞在者として日雇い労働をしながら生活をしていました。借金取りに追われ、金銭的に苦労していましたが、久しぶりに再会した息子に見栄をはることをやめようとしません。そんな父親の姿と共に本作では、監督の生い立ちまでも赤裸々になっていきます。

 

 

「戸惑いはたぶん(最初は)あったでしょうね。でも、これは日記じゃない、 エンタメであると覚悟を決めました。作品として世に出すことを意識したことで、割り切れたのかもしれない。父というのは、日本でいう出島みたいな、日本ではあるんだけど日本ではない空間。自分の中ではそんな領域かもしれないですね。ズカズカ土足で入ってもいい、そんな幼さみたいなのは僕の中にあったかもしれません。逆に母がほとんど(画面に)出てこないのは、やっぱり土足で入れないんですよね。カメラを向けるのは相手をすごく傷つけることになる。そこは逆にさっき言った戸惑いの領域だと思っています」。

 

父や叔父、そして祖父母。身内に対してカメラを回すとき、角田監督はどのような立ち位置で臨んだのでしょうか。

 

「(身内としてと、監督として)両方だと思います。この前、中国で自主上映したときに、『これはインスタグラムのストーリーと何が違うの?』って質問があったんですが、そんなに変わらないですよね。でもホームビデオだからこそ被写体の生き生きとした表情が引き出せたと思っています。ビビッドなたばこの吸い方だったり、怒りだったり。彼らにとってはカメラがおもちゃにしか見えなかったんじゃないですかね」。

 

©Ryuichi

 

その言葉通り、カメラを回しインタビューする角田監督に、父や叔父はストレートに感情をぶつけてきて、時には言い争いになることも。それでも努めて監督は冷静に答えています。

 

「押さえろ押さえろって自分に言い聞かせて、実は中は煮えたぎってましたよ(笑)。“逆切れ原稿”と自分で名付けて、効果的にいかに相手に切り込めるかを考えて、相手の感情が一番沸き立つような順番で(インタビューの)言葉を選びました。全然クールではない、ギリギリでしたね。イメージとしては雨の中で傘を差している感じ。(父や叔父から)すごいエネルギーが来るんですけど、たぶんカメラがなかったら僕はその場から逃げてますね。だって、いる意味がないんだもん。僕はあんまりケンカは好きじゃないんですけど、ファインダーが1枚あるだけで、そこにいる意味が出てくるんです」。

 

角田監督のお父さんはかつて画家を目指していました。そして息子である監督は映画を作る仕事に就いています。創作者という共通点に加え、叔父さんや父親本人から、「父親(自分)とそっくりだ」と言われ、監督はどのように感じたのでしょうか。

 

「僕はそんなに似ているとは思わないですけど、やっぱり子として、人間として嫌ですよ。ただ作り手、監督として見たときには、すごくいい伏線になるなって思いました。僕は今まで会っていなかったという理由で、あまり深く考えずに父を捜しに行きましたが、多分無意識で帰属意識みたいなものがあったかもしれないですね」。

 

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